京都旅行その1 猿ヶ辻→宗旦稲荷→白峯神社
猿ヶ辻
京都探索の初めは、京都御所にある「猿ヶ辻」からスタート。
案内標識もあったのですんなりとたどりつけました。
そして詳しい説明板も建っていました。
見えにくいですが、屋根の下にその「猿」がいます。
見えにくいですが。いますか?猿。
もうちょっと近づいてみました。なんとなく、猿のような物がしがみついているようにも見えます。
遠くにパトロールカーの姿が。堀に近づきすぎると警報が鳴るそうなのでご注意!
宗旦稲荷
京都御所を後にして、道を挟んで向かい側にある相國寺に向かいます。
宝物殿公開中でしたが、時間短縮の為に今回はお見送り。襖絵見たかったなぁ。
こちらでの目的は「宗旦稲荷」です。
鐘楼の裏側にありました。
想像していたよりも大きなお社でした。
可愛らしいサイズの鳥居がちょこんと鎮座。
江戸時代の初め頃、相國寺の境内に1匹の白狐が住んでいた。
その狐は、しばしば茶人、千宗旦(1578年~1658年)に姿を変え、時には雲水にまじり座禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして、人々の前に姿を現していた。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては、茶を飲み、菓子を食い荒らすことがたびたびあったが、ある時、宗旦狐は、相国寺塔頭、慈照院の茶室びらきで、点前を披露していた。
驚いたことにその点前は、実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。
その伝承のある茶室 頤神室(いしんしつ)は、現在でも慈照院に伝えられている。
茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室の窓より大きくなってしまったという。
宗旦狐は、豆腐屋の店先から油揚げを盗み、追いかけられて井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられている。
化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し、喜ばれていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した。それが今でもこの宗旦稲荷として残っている。-相國寺-
(宗旦稲荷 由来書きより)
光の加減でだいぶ見難いですが、上記の説明文が書かれていました。
白峯神宮
相國寺を出た後は白峯神宮へ。
ご由緒書き。崇徳天皇と淳仁天皇が祀られています。
道幅が狭くて正面から撮れなかった鳥居。
久々に、神社に入るのにどきどきしました。
もちろんお参りから。
お賽銭箱の側に、サッカー選手のサインが飾られていました。Jリーグ開幕当初の物か、懐かしい名前です。
崇徳天皇の碑です。もちろんお参りいたしました。
こちらの神社は蹴鞠と和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅跡で、境内社には「精大明神」(けまりの神)を祀った地主社があります。
蹴鞠の碑がありました。丸い部分を回しながらお参りします。蹴鞠の神様の為、球技全般・特にサッカーにご利益があるらしいです。
こちらは蹴鞠の碑のアップ。
ちょっと見えにくくてすいません;
蹴鞠の碑の玉の部分を回すと球技上達らしいです。玉が斜めに回転するので、注意書きの「詰めないよう」は結構あなどれません。まわすときはご注意を。
白峯神宮の御朱印。
2005年訪問
最新情報は公式ページなどでご確認ください。